私は、1996年の国内アビリンピックに「日本語ワードプロセッサ(視覚障害者部門)」の愛知県代表選手として参加し、金賞を受賞しました。そして、2000年にプラハで行われた第5回国際アビリンピック・チェコ大会の国際会議で、日本の視覚障害者の現状と今後について意見を述べる機会を与えていただきました。
2007年11月、静岡県で 2007年ユニバーサル技能五輪国際大会 として、技能五輪と国際アビリンピックが同時開催されました。
国際アビリンピックは、日本では二回目の開催になります。それに当たり、アビリンピック国際会議で、過去のアビリンピック参加者のその後の活躍についての分科会が設けられ、私も発表依頼を頂きました。
午前中の全体会は、国際労働機関(ILO)、障害担当上級専門官のデボラ・ペリー女史の基調公演の後、マクドナルドとキヤノンの障害者雇用の事例報告がありました。
マクドナルドは、日本でも障害者を2.94%も雇用していて、精神障害者や知的 障害者の訓練プログラムも用意されているそうです。
一方キヤノンは、障害者も正社員として雇用しているものの、能力がある人は他社にヘッドハンティングされるし、「15分しか立っていられない」という人を「あちこち部署を回って歩くことができない」と勘違いし、デスクワークしかさせてもらえなかった、というようなコミュニケーション不足の例示がありました。 最近はメンタルの面に力を入れているというので、ヘルスキーパーとして産業カウンセラーの資格を持つ視覚障害鍼灸マッサージ師を雇ってはと提案しましたが、今のところそういう考えはないという回答でした。
国際会議の分科会、チェコのときとは全然イメージが違っていました。
座長の朝日雅也先生(埼玉県立大学保健医療福祉学部教授)は、1981年の第1回国際アビリンピック日本組織委員会事務局で働いてらっしゃったそうです。そんなこともあって、アビリンピックに対する熱意はだれにも負けないぞ!というオーラのようなもが伝わってきました。
前日の打ち合わせは、会場のレイアウトの変更から始まりま した。全員が前を向く教室方式は堅苦しいということで、扇形に机が並べられました。 プラハのときは、予め用意した原稿通り話を進め、質問があれば受けるだけでよかったのですが、今回は様子が違っていました。
過去の大会に参加した選手が一通り体験を話し、フロアからの質問を受けた後、アビリンピックによって本人はどう変わったか、周囲にどんな変化を与えたか、世界の仲間と出会って感じたこと、将来の夢を一人ずつ話すよう求められました。
シンガポールから参加されたジム・ベックさんは、私のことをよく覚えていて下さ いました。ジムさんはボランティアで参加されていたのかと思っていましたが、チェコ大会にはパソコン組立で参加されていたそうです。郊外視察のとき、シンガポールの方々と行き先が同じだったので、トイレ休憩のときガイドヘルプしていただいた方だったことがお話をしていて判りました。その後、視野が狭くなり、現在はキャリアカウンセラーやシニアカウンセラーの資格も取得され、障害者の仲間のために働いてらっしゃるそうです。
今回のパネラーはみな、アビリンピックに参加したからといってとくに自分も周囲も変わったという意識はないようでした。マスコミの取材で一時的に多忙になった人もいましたが、周囲にもそれまでと同じように自然体で接してきた。その上で、さらなる自己のスキルアップに努めるとともに、会得したも技能を周囲の障害者の仲間にも伝授したい、という意気込みを持っています。
最後に、朝日先生は、分科会を次のように締めくくられました
この分科会の発表者に共通するのは、アビリンピック出場が具体的な仕事の目標の設定にとどまらず、より積極的な人生の動機付けになっていることです。そして、その体験が確実な個人のキャリアアップになっていると同時に、社会に対して、障害のある人の可能性を広く社会に知らしめる活動につながっているという特徴を持っています。アビリンピック出場の経験は、その個人にとどまらず多くの人々に希望の灯を提供していると言えるのでしょう。
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