国際アビリンピックに参加しました


2000年8月13〜18日までチェコの首都プラハで行われた「第5回国際アビリンピック(障害者技能競技大会)に参加させていただきました。

旅のスケジュール

国際アビリンピックは、1981年 国際障害者年を記念して第1回が東京で開催され、以降五年ごとに開催されています。

国内大会でワープロ競技に参加し、嬉しい事に金賞と労働大臣賞をいただきましたが、残念な事に国際大会には日本語の競技がないため、国際会議への参加となりました。

日本から参加した選手41名、審判、引率、医師、看護婦など併せて89名の大選手団は、8月11日の午後、出発に先立って、東宮御所で皇太子殿下・妃殿下との御接見にあずかると言う光栄と緊張のひと時を経験させて頂け感無量。

当初の予定では、御接見は30分で、各種目ごとに代表者がお話し、あとの人は名前だけ申し上げることになっていましたが、予定時刻を20分もオーバーし、選手一人一人にお声をかけて下さって、歓談することができました。

大変感激しました。夜は結団式があり、八代英太衆議院議員や労働省関係者から激励していただきました。

オリエンテーション

12日は成田のホテルに移動し、オリエンテーションがありました。夜はとくに予定はありませんでしたが、カルテ管理ソフトを作って下さっている酒井さんに連絡を取ったところ、治療院を見学させていただくことができ、いろいろ情報交換することができました。 

酒井先生の鍼灸院はこちら


プラハに出発

13日のお昼前に成田を発ち、イギリスのヒースロー空港で乗り換えてプラハに着いたのは午後9時ころでした。日本とチェコの時差は7時間なので、日本時間でいうと翌朝4時ころまで起きていたことになります。ヒースローでの乗り換えが眠かったこと・・・・・それなのにプラハまでの機中で機内食が出てくるし、イギリスまでは私でもヒアリングできていた英語がチェコ訛になり殆ど聴き取れなくなってしまいました。

ヒルトンプラハに着いてからも、お金の換金とセーフティーボックスの利用に随分手間取りました。

すっかり疲れてしまい、その夜はしっかり眠れました。


会場の視察

14日は会場視察がありました。競技参加者は朝8時半に出発でしたが、会議参加者は10時でよかったので、少しゆっくりできました。会場視察が昼過ぎに終わったので、午後はオータムスクウェア(旧市街広場)に行きました。馬車が通ったり、時計台の時計や教会の鐘が鳴ったりして、やっぱり日本じゃないんだなと実感しました。石畳の道はスニーカーでもとても疲れましたが、現地の人たちは低めのサンダルで歩いています。日射しが強いのに、日傘をさしたり帽子をかぶっている人は見かけなかったそうです。それで、日本から参加した女性たちも日傘をさすことははばかられたそうで・・・・・。 

歩き疲れたのでビールを飲みました。あちこちにテーブルを外に出してビールを飲ませる店があって、私たちが入った店は300mlのジョッキが20コルナ(1コルナは約3.3円)でした。日本のビールよりも苦みはありますが、度数が低くとても飲みやすく、お腹も張らない感じがしました。

夜は開会式がありました。会場のビシュタビシュテ(博覧会会場)には自慢の噴水があり、音楽に合わせて照明や噴水の形が変わるようになっていました。この噴水に合わせてバレエやパントマイムなどのショーが行われました。


郊外の視察

15日は郊外視察に出かけました。ストラコニーチェというオーストリアとの国境に近い工業都市に行き、バグパイプの演奏を聴きながら七面鳥を食べたり、フェンシングや火縄銃のデモンストレーションを見せてもらいました。

日本選手団はバイク工場を見学することになっていましたが、シンガポールの人たちがビール工場へ行きたいと言い出し、五人ほどそれに紛れ込みました。ビール工場では、5リットルのピッチャーを回し飲みしながら記念撮影しました。「あまり時間がないので申し訳ありませんので」と、工場から栓抜きとボールペン、それに銘柄が異なるビールを一人4本ずつお土産にもらいました。(バイク工場のほうは視覚障害者に触れるものやお土産はなく、ビール工場を選んで正解だったそうです。)

その後、洞穴のような所で民族音楽を聴きながら夕食を食べました。帰りの時間が近づいているのに、バスの運転手が「帰りは道路が空いているからぶっ飛ばせばいいから、もう少しここで飲ませてほしい」と言い、一時間半も遅れてホテルに到着しました。

(バスは立って乗ると警察に捕まるからとぜったい定員以上は乗せないのに、飲酒は問題ないみたいですね!)

夜は日本選手団だけの団内交流会があったのですが、けっきょくこれには出られませんでしたが、他の郊外視察では夕食は出なかったし、お土産もなかったとのこと。すごく得した気分でした。それに、帰りのバスの中ではチェコのボランティアの人たちがビール工場でもらったお土産のビールを飲みながら、モラビア地方のフォークソングをそこら辺の歌手顔負けのとてもきれいな声で歌ってくれました。

寝る前に、インターネットに接続し、プラハでの様子をメーリングリストなどに投稿しました。たくさんの方々から、激励のメールもいただいていたので、お返事も書きました。妹から日本のニュースが届いていたので、翌日からはみんなに自慢して伝えました。事務局の方で、毎日600円も出して日経新聞を買っている人がいましたので、二人で得意になってニュースを発表し合いました。(でも、私のほうは芸能ネタが多くて・・・・・)。 


国際会議1

16日は国際会議に参加しました。

会議は、三・四人ずつ壇上に上がり、シンポジウム形式で行われました。

日本からは、国内大会で和裁で金賞を受賞した聴覚障害者一人、電話交換と日本語ワープロで金賞を受賞した二名ずつが意見発表し、日本障害者雇用促進協会の方がアビリンピック運動の流れについて報告なさいました。

他の国からの発表者は、障害者施設の職員やリハビリテーションの専門家で、必ずしも過去のアビリンピックの入賞者ということではなかったようです。そして、スライドやプロジェクターを使って事例発表なさる方が多く感じられました。

障害者自身が実体験を交えて発表したのは日本だけで、かなり注目が集まったようです。しかし、フロアからの質問の内容は日本の障害者の雇用率とか、アビリンピックの予戦がどれくらいの都道府県で行われているのかとか、日本の駅のバリアフリー化が二年前とどう変わっているかとか、かなり数字に拘る内容が多く、みんな冷や汗たらたらで回答には苦労していました。

私は、日本の視覚障害者の文書処理について、一般に使われている点字が表音文字なのに、日本では表意文字である漢字というバリアをどう克服して行くかが問題であるけれど、介護保険のように書類が電子化されてきているものも多くなっているので、新職業開拓の可能性はあるということをお話しました。

日本のように鍼灸マッサージという定職がある国は珍しいようで、夜のパーティーで詳しい話を聞かせてほしいといううれしい声をいただきました。 

ノートパソコンの音声を聞いてもらおうと思っていましたが、さすがIBMのパソコン、主催者が準備したプロジェクター用のドライバーも持っていて、弱視者用の拡大画面表示もプロジェクターに出して説明することができました。

プラハで発表した内容の日本語原稿はこちら

夜はチェコパーティーがありました。

豚の丸焼きは人気が高く口に入りませんでしたが、ブルースのセッションを聴きながらチェコのお酒を試飲したり、各国の人たちとお話できたのはとても有意義でした。チリの視覚障害者の方が機械組立競技に参加するので、応援してほしいと言われました。

郊外視察の帰りに一番歌が上手だった女性をつかまえて写真を撮らせてほしいと言ったら「あれは私じゃない。今日は来てないけど友達のほうが上手だ」と謙遜していました。その女性は、今大学生で、将来は福祉施設で働きたいので、今回のボランティアに参加したと言っていました。

パーティーには浴衣を着て参加したので、たくさんの人とピンバッヂを交換できました。うちわも人気がありました。会議の同時通訳の花さんという人にちびまるこちゃんのうちわをあげたら、漫画を読んだことがあると言っていました。


国際会議2

17日は午前中、ちょっと疲れたので会議をさぼってホテルにいました。近くにスーパーマーケットがあったので、そこでお土産を買いました。紅茶一箱が30コルナくらいでとても安いのですが、チョコレートはあまり安くないようでした。キッコーマンの醤油やネスカフェのコーヒーがありました。

なすはかぼちゃのようでした。

果物は全体的に小さめで、青りんごはみんな丸かじりしてます。空気が乾燥しているのに生水は飲めないので、バスの運転手さんなんかも果物を持ち歩いて丸かじりしているようです。

レジは座って計算していました。コンベアに品物を乗せ、流しながらバーコードを当てて行くようでした。

午後は、他の競技の応援をしたり、国際会議に参加しました。約束通り、チリの方の応援もしましたが、日本からも聴覚障害者の方がエントリーしていたので、両方に声をかけました。

夜は日本国大使公邸で、石田大使ご夫妻主催のパーティーがありました。グランドピアノが置いてあったのを見つけた雇用促進協会の方が「弾いてみないか」とお声をかけて下さいました。福岡から参加した山本痢恵さんと一緒に連弾し、「花」「モルダウ」「翼を下さい」「川の流れのように」をみんなで歌いました。もちろん手話コーラスも。「チェコパーティーでは殆ど食べ物にありつけなかったけど、今日はよかった」とみんな喜んで下さいました。


市内観光

18日は市内観光で、プラハ城、カレル橋、オータムスクウェアに行きました。

プラハ城は、教会や大統領府などが入った敷地の総称のようです。交代まではピクリとも動かない衛兵と写真を撮りましたが、プラハ城の門に立てる衛兵は、身長175センチ以上、容姿端麗、健康(冬はとても寒いので)という厳しい関門があるそうです。

 

カレル橋の上では、ストリートミュージシャンがおしゃれなジャズのセッションをして、通りすがりの人がおひねりを投げ込んでいました。この人たちはおひねりで生活しているそうです。

14日にお土産は殆ど買ってあったので、私は15日に印象的だったモラビアのフォークソングのCDを探しました。夢中になってCDショップの店員さんと話しているとき、ユダヤ系のスリに狙われたようです。昨夜連弾した山本さんのお母様が教えて下さったので事なきを得ましたが、人混みは怖いですね。

CDは観光地では420コルナくらいしますが、普通のCDショップでは300コルナを切ります。日本のようにビニールで包装されてはいません。

プラハの音響信号機は、カタカタと音をたてていました。ゆっくり鳴っているときは赤や黄で、早く鳴ると青です。でも、青信号の時間はとても短いので「早く渡れ」とせかされているようです。

夜は閉会式がありました。午後7時から始まると聞いていたのに実際に始まったのは9時過ぎから。日本選手団は翌日の出発が朝早いということもあって、仲間の受賞者を祝福しないままホテルに帰る人も。そういう私も、日本人の受賞が終わった11時過ぎには帰途についてしまいましたが。花火が終わって閉会式が終わったのは0時半を過ぎていたそうです。

チリの全盲の人も佳作に入り、記念撮影しました。

日本人は、自分の出番以外は観光したりホテルでゆっくりしていた人が多かった反面、海外の方々は会議に参加して積極的に質問なさったりしていて、頭が下がる思いでした。閉会式も最後まで参加していた国が多かったのではないでしょうか。


そして帰国

19日はいよいよ帰途についたわけですが、ようやくチェコ語訛の英語も聴き取れるようになったところで、何だか帰りたくないなあと思いました。馬車にも乗ってないし、まだまだ見てないところもたくさんあるし仲良くなった人もたくさんいるし・・・・・。

ヒースローまでの帰りの飛行機は、チェコ航空のチャーター機でした。でも、出発が遅れた上に、イギリスの飛行機への乗り継ぎのため一度イギリスに入国して荷物を引き取らなければならず、トイレに行く時間もありませんでした。楽しみにしていた免税店での買い物や、イギリス名物のフィッシュ&ポテトも食すことができませんでした。

でも、イギリスの風に当たることができ、短い時間でしたが記念入国することもできましたのでそれはそれでよかったと思います。

プラハはとても涼しいと聞いていましたが、私たちが行ったときは急に暑くなって、最高気温38度という日もありました。でも、木陰に入るとやはり涼しいですね。それに比べ、イギリスは、日中も日本の春のようにとてもさわやかでした。

日本の食事で恋しくなったのは麺類と味噌汁です。

朝昼晩と、出てくる食事はパン・ハム・ソーセージ・スモークチーズ・ズッキーニやレタスといった野菜、スイカやメロンなどの果物です。冷たいものばかりで、温かいものが出てきたのは市内観光のときのスープだけでした。

朝は、少し塩辛いけどカリフォルニア米がありましたのでお米が恋しいとは思いませんでした。しかし、17日の昼食におにぎりと唐揚げ、漬物が出たのには感動しました。タムラというプラハの和食屋さんから取り寄せたそうで、おにぎり一個350円くらいだったそうです。アビリンピックに協賛して下さった企業に感謝ですね。

食べ物を考えても、チェコの人たちは質素なんだなあと思いました。でも、心はとても裕福だとも感じました。

バスやタクシーはエアコンがありません。バスは天窓から入る風を扇風機で送っていますので、止まるととても暑いです。でも、アイドリングはしません。環境にも優しいんだなあと思いました。

プラハは独特の香りがします。ホテルの部屋でも、バスの中も同じようなにおいがします。チェコ人が通っても同じ香りがするので、きっと香水のにおいなのだと思います。

東欧は数カ国を回るツアーはあっても、チェコだけというのは少ないと思います。現地の日本人のガイドさんも、15日に視察したストラコニーチェは知らないと言っておられました。

初めての海外旅行で不安いっぱいでしたが、また機会を作って行ってみたいと思うようになりました。

今回は、親族一人は介護者として同行できるということで、母と二人でプラハへ行きました。パスポートの取得費用から航空運賃、食費まで一切かかりませんでした。

母に、「少しは親孝行になったかな?」と聞いたら「とてもよかった」と言ってくれました。

会議のスピーチは英語でしなければなりませんでしたが、アクセントや発音を細かく教えていただいたり、海外旅行についてのアドバイスや激励の言葉をいただくなど、たくさんの方々にお世話になり、快適な旅をさせていただくことができました。

皆さん、ありがとうございました。


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