点字は、パリ訓盲院の生徒で、後に同校の教官となったルイ・ブライユ(Louis Braille)によって1825年に考案されました。

点字のことを英語でBRAILLE(ブレイル)と呼ぶのは、Louis Brailleの名前から来ています。

彼は、1809年1月4日、パリから40キロほど東のクーブレという村に生れました。3歳の時、馬具職人だった父親の仕事場で、両親が留守中、遊んでいた時に、革を裁断するナイフが片目を貫き、感染症のため5才で両眼の光を失いました。

両親は、当時としては珍しく、ともに読み書きができ、村の教会のパリュイ神父の尽力もあって、彼は村の学校に目の見える友達と一緒に2年間通うことができました。そして、彼の能力に感心したある侯爵の援助を得て、 10歳の時、世界初の盲学校として知られるパリ国立訓盲院に入ることができました。(当時の大多数の盲人は、教育を受けられず、路上で楽器を演奏するなどして物乞いするのが普通でしたから、彼はとても恵まれていたと言えます。)

当時パリ盲学校では、この学校の創設者バランタン・アユイが考案した、アルファベットの形を浮き出させた線文字が使われていました。しかし、この突字は、指で読むには大きすぎ、時間がかかり、視覚障害者自身が書くことができないという欠点がありました。

 1821年、砲兵大佐シャルル・バルビエがパリ訓盲院にやってきて、彼の案出したソノグラフィーを公開しました。ソノグラフィーというのは、夜の暗闇の中でも兵士間で情報伝達ができるように考えられた「夜間書法」と言う一種の暗号を盲人のために改良したもので、文字そのものを表すのではなく、フランス語の音を 12の点と線の組み合わせで表すものでした。このソノグラフィーには、ブライユをはじめ多くの見えない生徒が興味を示しました。

ブライユは、触読しやすいように点の数を減らし、かつ正確な知識が得られるように、音ではなく、アルファベットや数字や記号類など文字そのものを表すように工夫をかさね、1824年、6点による点字を考案しました。

ブライユ点字は仲間の生徒たちには歓迎され、内々に使われていたようですが、盲学校ではその後もアユイの浮き出し文字による教育が続けられていました。盲人のための特別な文字を認めることは、見える人と見えない人との間に障壁を作ることになるという、見える教師の先入観による抵抗が強かったからだと推測されます。

パリ訓盲院で点字の使用が正式に認められたのは、1844年で、そのころには既にブライユは肺結核にかかっていて、 1852年1月6日に亡くなりました。

その2年後の 1854年、フランス政府はようやくブライユ点字を盲人の文字として公式に認めました。

その後、ブライユが考案した点字は次第に世界各国の言語を表すように翻案され、また楽譜や理数記号など、さまざまな専門分野のニーズにも応えられるよう工夫がかさねられ、とくに点字楽譜は、世界的に共通のものが現在も使用され続けています。

下記は、筑波技術大学 保健科学部保健学科鍼灸学専攻 准教授 大沢秀雄先生からご提供頂いたブライユの写真です。

ブライユの横顔


1948年発行で、フランス相互援助のための寄付金付き切手です。



ブライユの正面像、左上に点筆と定規


2009年発行、ブライユ生誕200年の記念切手。額面の0.55ユーロの点字入り


「日本の点字」へ

「分かりやすい点字教室」のトップへ